歴史編

かつお節の誕生から現在まで

かつお節のルーツ①

カツオは、約8000年前の貝塚から食されていた痕跡が見つかっており、古くから食べられていた魚だったことが分かっています。

かつお節の歴史は約1300年前にさかのぼります。原料であるカツオは身がやわらかくて傷みやすいため、硬くなるまで干してから食べられていたといわれ、漢字で堅い魚と書いて「堅魚(かたうお)」と呼ばれていました。

現存する日本最古の歴史書『古事記』(712年)に「堅魚(かたうお)」と記録があり、平城京跡地から出土した木簡にも、「麁堅魚(あらがつお)」(カツオのあらぼし)の文字が残されています。

日本最古の和歌集『万葉集』(759年ごろ完成)にも、「水江の浦の島子が 堅魚釣り鯛釣り誇り」と、自慢の腕でカツオやタイをとったことが歌に詠まれています。

カツオは、約8000年前の貝塚から食されていた痕跡が見つかっており、古くから食べられていた魚だったことが分かっています。

かつお節の歴史は約1300年前にさかのぼります。原料であるカツオは身がやわらかくて傷みやすいため、硬くなるまで干してから食べられていたといわれ、漢字で堅い魚と書いて「堅魚(かたうお)」と呼ばれていました。

現存する日本最古の歴史書『古事記』(712年)に「堅魚(かたうお)」と記録があり、平城京跡地から出土した木簡にも、「麁堅魚(あらがつお)」(カツオのあらぼし)の文字が残されています。

日本最古の和歌集『万葉集』(759年ごろ完成)にも、「水江の浦の島子が 堅魚釣り鯛釣り誇り」と、自慢の腕でカツオやタイをとったことが歌に詠まれています。

かつお節のルーツ②

7世紀頃にはじまった律令制度では、税として「堅魚(かたうお)」「煮堅魚(にかたうお)」「堅魚煎汁(かつおいろり)」などが収められていました。古くから日本人の生活にカツオが深く関わってきたことがわかります。

「煮堅魚(にかたうお)」はカツオを煮てから干したもので、現在のかつお節の原形といわれています。「堅魚煎汁(かつおいろり)」は煮堅魚(にかたうお)の煮出し汁を煮詰めて液体にした調味料の一種です。

かつお節の発展

江戸時代、カツオの名産地として知られた紀州出身の漁民、初代角屋甚太郎が土佐(高知)にて定着。現代のかつお節の製法「燻乾法」に近い方法で、カツオの加工技術を編み出しました。

加工技術が編み出される前はカツオを煮て乾かすだけの工程でしたが、いぶしながら乾燥させ、カビ付けと天日乾燥を繰り返し、保存性と風味を高めたかつお節が作られるようになったのです。

品質も保存性も優れた「土佐節」は評判を集め門外不出として守られてきました。品質と評判の高さから徳川家康に土佐藩から1000本ものかつお節が献上されたようです。

その後、かつお節職人の森弥兵衛が紀州から枕崎へ、また、通称「土佐の与市」と呼ばれていたかつお節職人が安房や伊豆に赴いて、それぞれかつお節の製法を伝授。江戸末期までに全国各地へかつお節の製法が伝わっていきました。

江戸時代、カツオの名産地として知られた紀州出身の漁民、初代角屋甚太郎が土佐(高知)にて定着。現代のかつお節の製法「燻乾法」に近い方法で、カツオの加工技術を編み出しました。

加工技術が編み出される前はカツオを煮て乾かすだけの工程でしたが、いぶしながら乾燥させ、カビ付けと天日乾燥を繰り返し、保存性と風味を高めたかつお節が作られるようになったのです。

品質も保存性も優れた「土佐節」は評判を集め門外不出として守られてきました。品質と評判の高さから徳川家康に土佐藩から1000本ものかつお節が献上されたようです。

その後、かつお節職人の森弥兵衛が紀州から枕崎へ、また、通称「土佐の与市」と呼ばれていたかつお節職人が安房や伊豆に赴いて、それぞれかつお節の製法を伝授。江戸末期までに全国各地へかつお節の製法が伝わっていきました。

かつお節の産地

現在は、日本のかつお節のほとんどが鹿児島県枕崎市と指宿(いぶすき)市、静岡県焼津市の3つの地域でつくられています。

枕崎はもともとカツオ漁が盛んな地域です。1704年に紀州から、かつお節職人の森弥兵衛が来てかつお節の製法を枕崎に伝えたことで、日本有数のカツオ漁業基地に発展しました。

指宿は琉球貿易や遠洋漁業の基地として栄えてきた山川港を中心に、古くからカツオの町として知られています。かつお節の最高級品である「本枯本節」の生産でも有名です。かつお節製造は明治時代にはじまり、今もなお受け継がれています。

カツオというと、カツオのタタキなどの郷土料理から高知が有名ですが、実は漁獲量(2019年時点、そうだかつお類を除く※1)、産出額(2019年時点※2)ともに日本一は静岡県です。なかでも焼津はカツオとの関わりが深く、焼津神社周辺の宮の腰遺跡からは、弥生時代の人々が食べていたカツオの骨が出土しています。

現在は、日本のかつお節のほとんどが鹿児島県枕崎市と指宿(いぶすき)市、静岡県焼津市の3つの地域でつくられています。

枕崎はもともとカツオ漁が盛んな地域です。1704年に紀州から、かつお節職人の森弥兵衛が来てかつお節の製法を枕崎に伝えたことで、日本有数のカツオ漁業基地に発展しました。

指宿は琉球貿易や遠洋漁業の基地として栄えてきた山川港を中心に、古くからカツオの町として知られています。かつお節の最高級品である「本枯本節」の生産でも有名です。かつお節製造は明治時代にはじまり、今もなお受け継がれています。

カツオというと、カツオのタタキなどの郷土料理から高知が有名ですが、実は漁獲量(2019年時点、そうだかつお類を除く※1)、産出額(2019年時点※2)ともに日本一は静岡県です。なかでも焼津はカツオとの関わりが深く、焼津神社周辺の宮の腰遺跡からは、弥生時代の人々が食べていたカツオの骨が出土しています。

かつお節と削り節の産地

削り節の生産量は、かつお節の生産地ではない愛媛県がトップ(2019年時点※3)。伊予市の海産物商、岡部仁左衛門が1917年に削り機を導入し、削り節の生産を始めたことがきっかけとされています。同年、城戸豊吉(ヤマキ創業者)も削り機と出会い、花びらのように薄い削り節(花かつお)の製造を開始しました。

2019年、ヤマキでは、持続可能な水産原料調達への貢献を目指して、モルディブ共和国にかつお節製造会社を設立(YMAK社)しました。モルディブは国策で豊かな海を守る取り組みを行っており、漁法は一本釣りのみが認められています。モルディブは漁場が近く、工場に運ばれるカツオの鮮度は抜群です。ヤマキは世界中から原料を求めるだけでなく、海の豊かさを守りながら、日本の食文化であるかつお節、だしの文化を世界に広げていっているのです。

海の豊かさを守るサステナブルなヤマキの取り組みはこちら

削り節の生産量は、かつお節の生産地ではない愛媛県がトップ(2019年時点※3)。伊予市の海産物商、岡部仁左衛門が1917年に削り機を導入し、削り節の生産を始めたことがきっかけとされています。同年、城戸豊吉(ヤマキ創業者)も削り機と出会い、花びらのように薄い削り節(花かつお)の製造を開始しました。

2019年、ヤマキでは、持続可能な水産原料調達への貢献を目指して、モルディブ共和国にかつお節製造会社を設立(YMAK社)しました。モルディブは国策で豊かな海を守る取り組みを行っており、漁法は一本釣りのみが認められています。モルディブは漁場が近く、工場に運ばれるカツオの鮮度は抜群です。ヤマキは世界中から原料を求めるだけでなく、海の豊かさを守りながら、日本の食文化であるかつお節、だしの文化を世界に広げていっているのです。

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健康食としての
「かつお節・削り節」

現代では、「食事」は栄養と健康を関連付けて考えられることが多いですが、江戸時代にはすでに、食事から健康を保つという考えが根付いていたと言われています。

江戸時代、かつお節は「甘微温(かんびおん)」、つまり、甘=おいしい、微=少し、温=温める働きをする食品とされていました。

現代のイメージとはちょっと違った江戸時代のかつお節ですが、実際に高たんぱく質で、鉄分、ビタミンD、DHA、EPAなども含んでいます。
和え物や麺類、炒めものなど、かつお節のおいしさやたんぱく質などの栄養をさまざまな料理に加えることで、毎日の食生活がちょっとプラスになるかもしれません。

現代では、「食事」は栄養と健康を関連付けて考えられることが多いですが、江戸時代にはすでに、食事から健康を保つという考えが根付いていたと言われています。

江戸時代、かつお節は「甘微温(かんびおん)」、つまり、甘=おいしい、微=少し、温=温める働きをする食品とされていました。

現代のイメージとはちょっと違った江戸時代のかつお節ですが、実際に高たんぱく質で、鉄分、ビタミンD、DHA、EPAなども含んでいます。
和え物や麺類、炒めものなど、かつお節のおいしさやたんぱく質などの栄養をさまざまな料理に加えることで、毎日の食生活がちょっとプラスになるかもしれません。

郷土食としての
「かつお節・削り節」

かつお節・削り節に使う金額は、沖縄県那覇市が1位(2018~2020年の平均※4)。1901年に座間味島でカツオ漁とかつお節生産が開始し、県が力を入れたこともあり、1920年代には沖縄が日本有数のかつお節生産県になりました。その名残りで今もかつお節・削り節の消費量が多く、かつお節と沖縄で古くから食されている豚肉を両方使っただしがよく使われます。

沖縄県の塩分摂取量は他県に比べ少なく(2016年時点※5)、濃厚なだしをとることで、自然と調味料の使用量が抑えられ、塩分の少ない食事をとっていたことが長寿の秘訣のひとつと考えられます。

沖縄では削り節をお椀にたっぷり入れて熱湯を注ぐ「かちゅー湯」という郷土料理があります。その他、現在ではかつお節の生産量トップを誇る鹿児島県(2020年時点※6)にも、麦みそと削り節に緑茶を注ぐ「茶節」が昔から親しまれています。

静岡では、地元の人々が「しぞーか(静岡)おでん」と呼んでこよなく愛しているのが、だし粉をかけたおでん。涙が出るほど辛いことから「泣き飯」と呼ばれる、わさびとたっぷりの削り節をのせたわさび丼も食べられています。

日本各地のかつお節料理はこちら

かつお節・削り節に使う金額は、沖縄県那覇市が1位(2018~2020年の平均※4)。1901年に座間味島でカツオ漁とかつお節生産が開始し、県が力を入れたこともあり、1920年代には沖縄が日本有数のかつお節生産県になりました。その名残りで今もかつお節・削り節の消費量が多く、かつお節と沖縄で古くから食されている豚肉を両方使っただしがよく使われます。

沖縄県の塩分摂取量は他県に比べ少なく(2016年時点※5)、濃厚なだしをとることで、自然と調味料の使用量が抑えられ、塩分の少ない食事をとっていたことが長寿の秘訣のひとつと考えられます。

沖縄では削り節をお椀にたっぷり入れて熱湯を注ぐ「かちゅー湯」という郷土料理があります。その他、現在ではかつお節の生産量トップを誇る鹿児島県(2020年時点※6)にも、麦みそと削り節に緑茶を注ぐ「茶節」が昔から親しまれています。

静岡では、地元の人々が「しぞーか(静岡)おでん」と呼んでこよなく愛しているのが、だし粉をかけたおでん。涙が出るほど辛いことから「泣き飯」と呼ばれる、わさびとたっぷりの削り節をのせたわさび丼も食べられています。

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縁起物としての
「かつお節」

戦国時代には武士が戦への出陣の際にかつお節を携え、飢えをしのぐために食べていました。かつお節の携帯のしやすさや保存性から重宝されていたようです。かつお節は「勝男武士」と書くこともできるため、その語呂の良さから縁起担ぎの意味も込められてきました。

現在は、出産の内祝いや子どもの成長を祝う折に贈り物とされたり、新嘗祭などの宮中祭祀や神社への御供物に用いられるほか、祝儀、お歳暮などにも、縁起ものとして広く使われています。

かつお節は、結納品や結婚式の引き出物としてもよく選ばれます。かつお節は1匹のカツオの半身から、腹肉側の雌節と背肉側の雄節の2種類の節が作られます。雄節と雌節がぴったりとくっつき、夫婦一対を表すことから、夫婦の象徴として好まれます。

亀は昔から長寿のシンボルとして知られますが、雄節と雌節を合わせた形が亀の甲羅に似ていることから、おめでたいことの印として長寿や祝い事の象徴になっています。

戦国時代には武士が戦への出陣の際にかつお節を携え、飢えをしのぐために食べていました。かつお節の携帯のしやすさや保存性から重宝されていたようです。かつお節は「勝男武士」と書くこともできるため、その語呂の良さから縁起担ぎの意味も込められてきました。

現在は、出産の内祝いや子どもの成長を祝う折に贈り物とされたり、新嘗祭などの宮中祭祀や神社への御供物に用いられるほか、祝儀、お歳暮などにも、縁起ものとして広く使われています。

かつお節は、結納品や結婚式の引き出物としてもよく選ばれます。かつお節は1匹のカツオの半身から、腹肉側の雌節と背肉側の雄節の2種類の節が作られます。雄節と雌節がぴったりとくっつき、夫婦一対を表すことから、夫婦の象徴として好まれます。

亀は昔から長寿のシンボルとして知られますが、雄節と雌節を合わせた形が亀の甲羅に似ていることから、おめでたいことの印として長寿や祝い事の象徴になっています。

以下を参考にヤマキ株式会社作成

かつお節をもっと詳しく知りたい方へ

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