日本のだし文化

海に囲まれている日本では、古くから乾燥させた海産物からだしをとっており、中でもうま味成分の「グルタミン酸」が豊富な昆布と、「イノシン酸」が豊富なかつお節は、短時間で豊かなうま味のだしがとれる素材です。
日本のだし文化は「東のかつお節、西の昆布」と呼ばれています。
江戸時代、九州や四国で生産されたかつお節は江戸(現在の東京)に運ばれ、東日本に広まりました。一方、北海道や東北地方でとれる昆布は、船で大阪まで運ばれて、西日本に広がったと言われています。
昆布は交易船によって北海道の松前と本州の間を行き来するようになりました。海上交通が盛んになった江戸時代には、山口県の下関から瀬戸内海を通り、「天下の台所」である大阪へと昆布が運ばれ、この航路のことを「こんぶロード」と呼びます。
京都や大阪で上質な昆布から売れていき、売れ残りが江戸で消費されたため、関東では昆布だしが発達しなかったことや、関西の水は軟水のため、昆布だしに適していた一方、水の硬度が高い関東は昆布だしに向いていなかったことで、関東ではかつお節、関西では主に昆布が使われるようになったと考えられています。

海に囲まれている日本では、古くから乾燥させた海産物からだしをとっており、中でもうま味成分の「グルタミン酸」が豊富な昆布と、「イノシン酸」が豊富なかつお節は、短時間で豊かなうま味のだしがとれる素材です。
日本のだし文化は「東のかつお節、西の昆布」と呼ばれています。
江戸時代、九州や四国で生産されたかつお節は江戸(現在の東京)に運ばれ、東日本に広まりました。一方、北海道や東北地方でとれる昆布は、船で大阪まで運ばれて、西日本に広がったと言われています。
昆布は交易船によって北海道の松前と本州の間を行き来するようになりました。海上交通が盛んになった江戸時代には、山口県の下関から瀬戸内海を通り、「天下の台所」である大阪へと昆布が運ばれ、この航路のことを「こんぶロード」と呼びます。
京都や大阪で上質な昆布から売れていき、売れ残りが江戸で消費されたため、関東では昆布だしが発達しなかったことや、関西の水は軟水のため、昆布だしに適していた一方、水の硬度が高い関東は昆布だしに向いていなかったことで、関東ではかつお節、関西では主に昆布が使われるようになったと考えられています。