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行事 端午の節句 皐月
端午の節句 二十四節気 七十二候

端午の節句は古代中国にまでさかのぼる歴史ある風習で、

当時は5月5日に薬草を摘み、色鮮やかな絹糸を肩に巻いて病を避け、邪気を祓うとされる蓬で作った人形を飾ったり、

菖蒲を門にかけたりして邪気払いをしたそうです。

日本には奈良時代ごろから宮中行事として伝わりました。

菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い、

天皇から薬玉(くすだま・薬草を丸く固めて飾りつけたもの)を賜ったとされています。

平安時代までは無病息災を願い、邪気を避け魔物を祓う薬草とされていた「菖蒲」を、蓬と共に軒にさし、

または湯にいれ「菖蒲湯」として浴すなど、古代中国を習った風習でした。

鎌倉時代に入ると武家社会となり、これまでの風習が廃れて、

代わりに「菖蒲」と「尚武」(武士を尊ぶ)をかけて男の子の成長を祈る節句へと変化していきます。

鎧、兜、刀、武者人形や金太郎を模した五月人形を飾り、

庭前にこいのぼりを立てる風習もこのころ確立しました。

江戸時代に入り、正式に五月五日が男子の節句として定められてからは、

一般にもこの風習が広まりました。

鎧兜には男子の身体を守るという意味が込められています。

また、こいのぼりは中国の故事にちなんで、男子の立身出世を祈願しているそうです。

ちまき

ちまきを食べる風習は、古代中国の楚の時代の詩人、屈原(くつげん)の命日である五月五日に彼を慕う人々が身を投げた川にちまきを投げ入れて供養したことが由来とされています。そして現在のちまきの原型となっている葉に包んで糸で縛るというスタイルは漢の時代から生まれたそうです。ある日、漢の時代の里の人間が川のほとりで屈原の幽霊に出会います。すると屈原は供物が自分の手元に届く前に蛟龍(こうりゅう)という悪龍に盗まれてしまうと言います。そこで、蛟龍が苦手とする楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み、五色の糸で縛って欲しいと頼むのです。それ以来、ちまきは楝樹の葉で包み、五色の糸で縛って屈原に備えられるようになりました。これがちまきの始まりとされています。中国では五月五日の節句には、節物としてちまきを作り、親戚や知人に配るという習わしが生まれたそうです。その風習が次第に病気や災厄を除ける大切な宮中行事として発展していきました。やがてこの風習が日本にも伝来します。ちまきに結んだ赤・青・黄・白・黒の五色の糸は子供が無事に育つようにとの魔よけの意味をこめ、現在ではこいのぼりの吹流しの色に反映されています。

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